笹が嫌いなパンダ。

些細だけど思ったことを書いてきます。25歳社会人3年目女。

ほろ苦ビーフシチューと25歳の実家暮らし

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25歳実家暮らし。別に悪いことをしているわけではないけど、少しだけ後ろめたい気持ちになることがある。一人暮らしをしている方が自立していると見られるし、それは事実そうだと思う。

 

一人暮らしの寂しさや、苦労についての話題になるとただただその場のお茶をすするしかない。でも、実家暮らしには実家暮らしなりに少しだけ切ない気持ちになることもある。

 

今日は、家族で久しぶりに近場へ出かけた。実家に暮らしているといえど、社会人になってからは仕事や用事などで家にはほとんど寝に帰るような日々。なかなか弟含めた4人で一緒に過ごす時間はないので久しぶりの時間だった。

 

「今日はどこに行こうか」普段から出かける時はあまり事前から練らない。とりあえず、父親が運転する車に乗ってあとは気の向くまま。最近は、私と弟が一緒に出かけることが少なくなったので父親と母親で一緒に出かけた中でのベストスポットに連れて行かれることが多くなった。

 

「ほら、ここいいでしょ?」数十分車に乗ってついたのは神奈川にある小さな神社だった。二人はメジャーなお出かけスポットやアウトレットモールよりも、どちらかというとマイナーな隠れスポットが好きだ。「うん、いいところだね」とお参りをしておみくじをひく。本当に小さいので30分もしないうちにまわりきってしまった。

 

少し下ると綺麗な湧き水が湧いていると洞窟がある、と以前来たときに見つけたらしいお気に入りルートを紹介してくれた。ひんやりした洞窟を少し覗いたあとは、すぐ後ろにある川を眺める。

 

パシパシパシ…

 

川に向かって手を叩くと、鯉が近寄ってくる。小さい頃からそう教えてもらっていた私たちは、川に鯉の姿を見ればついつい手を叩いてしまう。

 

パシパシパシ…

 

一緒に手を叩いていたら、本当に鯉が近づいてきた。小さい頃にも信じていたけど、大人になった今でもこの効果は侮れない。

 

それから車に乗り込んで、夕飯を食べるかどうしようかということになったがまだ少し時間は少し早い。父親が車を出して、みんなで候補を探す。「フラワーパークがあるみたい。最近は花にはまってるからそこに行きたい」というと、「ああ、そこならそんなに遠くないしいいかもしれないね」と目的地に車を走らせた。

 

直接伝えたことはないけど、カーナビをほとんど使わずにいろんなところに行ける父が自慢だ。せっかく免許を取ったのに、ペーパードライバーになってしまっている今、なおさら。

 

フラワーパークについたら、閉園1時間前ということで人も少なくじっくり楽しむことができた。昔は写真を撮られるのがすごくイヤで、恥ずかしくて、母親が「こっち向いて」と言ってもしかめっ面を向けて思い出残しには全面的に協力しなかった。今では私がスマートフォンを片手にどんどん写真を撮る。撮られるのもイヤじゃなくなった。あれも反抗期だったのだろうか。

 

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最後に、全員が映る角度を見つけ出すのに苦労しながらなんとか家族での集合写真を撮影してフラワーパークを後にした。

 

夕食には、小学校の頃からたまに来ている洋食レストランに入った。初めて来た時は、白い髭を生やしたアニメの世界から出てきた執事のようなおじいさんが出迎えてくれて、車の鍵を渡すと狭い敷地の中にたくさん止めなくてはいけない車をパズルのように整理してくれた。来るたびに毎回、「今日もあのおじいさんいたね!味あるよね」と帰り際に車の中で話ししていたけど、いつのまにか近くに駐車場ができておじいさんも見なくなってしまった。

 

今日も近くの駐車場に車を止めて、レストランに入りすぐに注文。このお店では、ビーフシチューがほろ苦くってそれがクセになるので来る時には毎回そのメニューにしている。今日もほろ苦いビーフシチューが無性に食べたくなり、注文した。

 

「ビールも、一つ」運転手だった父親がビールを頼む。毎回運転手をしている父親は外出しても食事の時にはお酒を飲めなかったが最近は弟が運転できるようになったので途中で運転手交代することが多くなった。

 

小学校から来ているお店だから、このお店に来ると毎回思い出話になる。昔は、水の中に小石が入っていておしゃれだったけど今はレモンに変わったね、とか、運動会のあとにおじいちゃんとおばあちゃんと一緒にご飯を食べに来たことがあってあそこの席に座ったね、とか、その時にステーキのかみごたえがすごくて弟がなかなか噛み切れなかったよね、とか。

 

そんな毎回おなじみの話をする間に、料理が運ばれてきた。食べている間はあんまり話さずに黙々と食べる。ほろ苦いビーフシチューは、何回も食べているけど食べるたびになぜか意外な味で毎度感動する。

 

「今日も苦くて美味しい」と言っていると、母親はビーフシチューの中に入っているお肉の柔らかさに感動していて「このお肉、すっごく柔らかい」と繰り返した。そして、私もおなじものを食べているからおなじお肉が入っているのに「これ、食べなよ」と言ってお肉をひとかけらお皿に放り込んできた。

 

母親の美味しいものを子供にも食べさせたいという気持ちは、毎回変わらずすごい。私は、いつか子供がいて母親になったとしても自分が感動して美味しいと思ったものをおなじように子供に分け与える人になれるかな?と謎の心配をしてしまう。

 

それぞれ食事を堪能したあと、お店をあとにする。帰り道は、弟が運転する車の中でうとうとしていつの間にか寝てしまった。

 

あっという間に家に着く。

帰る先は、みんな一緒だ。だって実家暮らしだから。

 

明日からは実家暮らしだけど、またほとんど家にいない日々になる。それは当たり前だし充実しているんだけど、なんだろう、なんだかちょっとだけ切ない気持ちになる。

 

たぶん実家暮らしの人にはわかる、実家暮らし特有の切なさ。

家族で出かけたあと家に戻ってきた時はより一層強くなる寂しさ。

小さい頃から帰る場所は変わっていないのに、それ以外はあっとういう間に変化している寂しさ。

 

「なんだ、全然そんなの寂しくないじゃん」という声が一人暮らしの人から聞こえてきそうだけど。

 

そんな贅沢な寂しさを抱えながら、私はまだしばらく、実家暮らしをしたいなぁと甘えたことをおもっているのである。